会誌「電力土木」

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巻頭言

公営電気事業に思う

 

公営電気事業経営者会議 専務理事
相 田 文 雄

 小生が勤務している公営電気事業経営者会議は,昭和28年 7 月に設立され約70年の歴史を有する地方公営企業法及び電気事業法に基づき電気事業を経営する会員24都道府県から構成される団体である。
 この度,縁あって水力発電事業の仕事に係わることとなりましたので,水力発電計画に係る測水の思い出,公営電気事業の歴史及び公営電気事業の将来について私見を述べたいと思う。

■測水所における思い出
 水力発電に係わったのは,今から数十年も前のことである。
 記憶も薄れかけているが,水力発電計画の基本となる河川流量測定を毎月 3 回以上,和舟に乗って測定を行う測水所及び胴長靴を履いて河川に入り流速の測定を行う測水所を経験する。目的は,毎年台風等による出水で変化する流況を把握し,その年の流量資料(流量図表)を作成するためである。そのため,河川の正確な流況曲線式を策定する必要があることから,低水時から高水時までの幅広い水位での測水を実施する必要があり,少し水位の高い時に河川に入り流されたこともあった。今思うとかなり無茶なことをしたと思う。測定した結果は,流速計検定所に毎月報告を行っており,測定結果から用いた流速計は適用流速範囲外の流速計を使用している旨の注意を何度か受けたことを記憶している。言い訳になるが流速がほとんどない数センチ程度の流速の範囲であったと思う。測定日における流量算定結果に影響はないものの業務における厳格な姿勢は今でも覚えている。また,当時は,当該測水所の 1 年間の日々の水位から流量算定を行う前に測水所ごとの算定に用いる流況曲線式の妥当性を事前に説明して了解を受けるシステムで了解が得られないと次のステップに進むことが出来なかった。当時の審査官には,流況曲線式が変化した際の適用期間の判断根拠及び適用水位の異なる複数の曲線式からなる流況曲線式においては,適用水位の判断根拠等を厳しく指導を頂いたものである。一般的には,台風等の出水により当該測水所位置の河川横断形状が洗堀及び堆砂により変化するものであるが,その他河川改修を実施している場所では,工事による砂利の移動などにより変化する場合もあり説明に苦労したところである。測水所の流量資料は発電計画策定の基礎資料であるが,取水口位置が測水所の位置であることはないため流域換算により修正され,また,10年平均の代表年などの流量資料として用いられる他,同一水系であっても河川の流況が異なるような支川の計画では,一定期間当該支川の測水を実施し,基となる測水所との相関関係を確認し,当該計画地点の流量資料を推定する方法が用いられていたと思う。そのような流量資料の使われ方であるが,そのポイントごとの審査が的確に行われていたからこそ,確実な計画策定の流量資料になっているものと思う。
 また,当時は PC もない時代であり年間の流況を作成するための水位データをパンチカードで入力して作成し,流況曲線は薄い細長い木の曲線定規のようなものを用いて重りでところどころ固定して,烏口で清書をしたものである。かなり記憶は薄れているものの,当時は若手の新人で流量図表の審査を受ける立場にあったが,今では懐かしく良い経験をさせて頂いたと思っている。

■公営の水力発電事業の歴史
 京都市は東京遷都による市の活性化近代化事業の一つに琵琶湖疎水事業を興し,明治24年蹴上発電所(現在関西電力?)の発電を開始した。以来130年余を経過したが水力発電による我が国電気事業の始まりで,公営電気事業の発電所である。昭和13年電力管理法公布により公営電気事業の発電施設は神奈川県を除いて,日本発送電?または,各配電会社に合併吸収され戦後を迎えた。従って,公営電気事業の創設は戦前と戦後に大別される。戦前の主な公営電気事業は高知県が明治42年に電気事業を開設し一般供給事業を興した外,東京市が明治44年,富山県が大正 4 年,金沢市が大正10年,山口県が大正13年にそれぞれ電気局を設立した。昭和になって青森県が 9 年に電気事業を開設,13年には宮崎県が小丸川河水統制事業の一環として電気建設部を設置,また,同年神奈川県が相模川河水統制事業計画事務所を設置する等多くの公営電気事業が開設された。
 戦後の荒廃した国土の復興を進めるため,昭和22年経済安定本部に河川総合開発協議会が設けられ,北上川,利根川,木曽川を始めとする全国24の特定河川で調査が行われ,昭和25年には国土総合開発法が制定され,昭和26年度事業から河水統制事業が河川総合開発事業に改称された。また,戦後の産業復興に伴う電力需要に対応するため,昭和27年に電源開発促進法が制定され,この法律に伴う総合開発事業の共同費用負担の方法が TVA の手法を参考に我が国にも確立し,河川総合開発事業が本格的に促進されるところとなる。河川総合開発事業が地域開発の一環事業のため,地方公共団体は水資源の有効活用を図りながら,電源開発,地域産業の振興と地域住民の福祉増進に寄与し,公営電気事業を創設し河川総合開発事業に積極的に参画して行った。その結果,戦前からの神奈川県及び宮崎県以降昭和30年代までに公営電気事業を開設した事業者は29都道府県 1 市に及んでいる。それ以降も中小水力開発の担い手として,河川総合開発事業に参画する外,純国産のクリーンエネルギーとして注目され発電単独事業に積極的に取り組み,広島県が昭和55年,福島県が昭和63年に電気事業を開設した。その結果,33都道府県 1 市にまで公営電気事業者が広がるものの,諸般の事情から現在は,24都道府県まで減少しているところである。
 現在の事業者の中にも将来の事業展望から事業資産の所有権を公営電気事業者が有したまま,運営権を一定期間,民間事業者に設定するコンセッション方式の経営形態を取り入れているケースや事業の運営・管理の一部を民間企業に外部委託し,運営コストの削減を図る業務委託を取り入れているケースも出てきている。

■公営電気事業の将来
 水力発電については,若い頃に測水業務を体験させて頂いたことなどから愛着があり,今後も公営電気事業が永続して欲しいと願っている一人であり,その将来について,私的な感想を述べさせて頂くもので公営電気事業経営者会議とは関係ないものである。
 公営電気事業を取り巻く現下の状況は,歴史からもわかるとおり全盛期に比べ約 3 割の事業者が撤退しており,近年は,FIT 制度の創設により経営の安定化が図られ,また,既設の老朽化発電所のリパワリングも積極的に行われるなど,より一層長期の経営安定化に努める動きが見られている。
 しかしながら,公営電気事業は行政に組み込まれた組織であるため,将来の方向性を握っているのは選挙で選ばれた知事である。そのため,選挙権を有する住民に対して公営電気事業を知って頂く,発電事業がどの様な地域貢献事業を行っているのか広報活動を充実させる他公営電気事業者が主体的に全面に出る事業を推進することが,いざと言う時に公営電気事業者の応援団となって頂けるものと考える。しかしながら多くの事業者は,公営電気事業者として住民の前に出ることは少なく,電気事業で得られた利益の地域還元策として,一般会計への繰り入れとなっており,公営電気事業が永続して行くための応援団になって頂ける事業展開は乏しいものとなっている。そのため以下のような三つの事業を積極的に展開して行くべきものと考える。
一つ目は,企業局を全面に押し出した地域貢献事業の展開(主な展開事例)
 (1) とやまっ子すくすく電気(企業局が自ら申請窓口となり電気料金負担を軽減し,子育て世帯を応援)
 (2) 小・中学校の課外学習モデル構築事業補助金(企業局が交付決定権者となり,電気事業関連施設の課外事業に要する経費を補助)
 (3) 企業局が美術品を購入所蔵し,美術館へ寄託して閲覧に供する(企業局が全面ではないが価値のある作品による集客・地域活性化に貢献)
 (4) 環境価値を活かした CO2 フリー電気の販売及び小売電気事業者と連携した地域企業等への電力供給などの事業を展開
 (5) 自立運転機能を備えた水力発電所による大規模災害発生時に発電所周辺地域へ電力を供給する取組み
二つ目は,新規地点開発の積極的な推進
 既に経済性の優位な地点は開発され経済性に劣る地点が残されている状況にあり,発想を変えて行かないと開発は困難と考える。そのため,域内の 5 次調査,上水道・農業用水・工業用水・砂防ダムの発電ポテンシャルはどの様になっているのか。当該水系の一貫開発を念頭に複数の異なる事業者が開発している場合,発電所間の未利用落差はないか。また,当該地点開発において投資回収期間の変更,運転管理の外部委託など開発に向け可能な限り柔軟に経済性を判断する必要があると考える。
三つ目は,より一層の効率的な発電所経営
 近年,FIT 制度の導入により事業者の経営が安定し,卸市場価格も国際的な燃料価格の高騰を背景に高騰しているが,長期的に見ると原子力の再稼働により卸市場価格も安定して来るものと考える。そのため,域内の一括運転管理体制の構築及びスマート化技術の導入促進等により利益率の向上を図り,経営体力の強化を図る。それらによって得られた収益を新規地点開発に投入して行く。

 最後に公営電気事業の有する発電所は古いもので100年近いものがあり,これらの発電所は諸先輩の方々のご苦労によって開発されたもので,現在,維持管理に携わっている技術者が新技術を用いて改修され次世代に引き継ぎ,公営電気事業が永続的に行われることを願っている。



     
     
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