会誌「電力土木」

目次へ戻る

電力土木回想

土木技術は身を助く!

 

田 中 伸 和 (一財)電力中央研究所 名誉研究アドバイザー

1. 電中研との出会い
 指導教授の推薦で電中研の土木部門の担当理事の方の面接を受けることになった。東北出身の方と,大阪生まれ,泉州(せんしゅう)岸和田育ちの面接は,何を質問されているのか,何と答えているのか,お互い分からないまま無事(?)採用に内定した。
 昭和50年(1975年)4 月,5 年間の大学院生活を終え,千葉県我孫子市にあった「技術第二研究所」に配属になり,水理部海洋環境研究室の一員になった。27歳の春で,初めてのしかも関東での一人生活,私の人生が始まった。
 大学院では,土木工学専攻で河川研究室にて河川工学,水理学を学んだ。たまたま研究室にあった論文コピー(液面を含む流れの数値解析)を読み興味を持ち,当時何とか使い始められた電子計算機での流体解析をやり始め,その関係で学位も取った。修士課程の頃は,プログラムを黒色の紙テープにパンチ穴をあけて作り,それを読み込ませ計算する,今から思えば,パソコンより何十倍も程度の低いものであった。間違い探しと修正が大変であった。その後に 3M の紙カードを読み込ませる大型計算機センターができ,修正が楽になった。博士課程を修了する頃に,研究室の端末からの入出力が可能なものになったが,今とは雲泥の差の計算機環境であった。
 入所当時の電中研は,水力発電から,火力・原子力発電に代わってきた頃であり,水理部では,臨海発電所関係の課題が主になろうという時期であった。海洋環境研究室では,臨海発電所からの温排水拡散の水理模型実験が主に行われており,入所時すぐはその手伝いをした。地形を模擬した実験水槽に温水を流すため,エアコン設備のある実験室はまだなく,夏場は気温が下がる夜に実験を行ったことが思い出される。
 水理実験棟の片隅に,縦横 2 m,高さ 4 m ほどの 4 面ガラス張りの縦長の水槽があり,そこで色んな形状の物体を落下させて,落下する挙動や着底場所の散らばりを調べる実験を初めて自分で行った。
 これは,極低レベルの放射性廃棄物(ドラム缶型)の海洋投棄を想定したもので,途中になっていたので,追加実験であるとの説明を受け,実施したものである。思えば,これが私の原子力発電との初めての出会いであった。

ホームページ上では、「初回段落」のみを掲載しております。

     
     
ページのトップへ