会誌「電力土木」

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巻頭言

トンネルに思いを巡らせて

 

藤  田  久  之
北陸電力? 執行役員土木建築部長

■トンネルの魅力,空想
「国境の長いトンネルを抜けるとそこは雪国であった。」この有名な川端康成「雪国」の冒頭のフレーズは,読み手にトンネルから銀世界に出る瞬間の情景を想像させ,冬の温泉街で繰り広げられるストーリーに引き込んでいく大きな力があると思う。
一方で,土木技術者であれば,どのようなトンネルだったのか,いろいろ想像する貴兄も多いのではないだろうか。私もその一人である。雪国が執筆された昭和初期であれば,単線の鉄道トンネルで,掘削は削岩機による人力掘削,地山が悪く縫地矢板を施し,水処理にてこずり貫通が遅れはしなかったのかなど,あらぬ想像をしてしまうのである。

■電力施設におけるトンネルの役割
電力施設においても,トンネル構造は,発電および送配電設備を中心に,数多く採用されている。当社の水力発電設備に限っても,水路総延長約514kmの約8割がトンネル構造で,その延長は405kmにも及ぶ。水力発電の導水路においては,トンネル構造を採用することで,最短距離で高落差を得ることができるうえ,北陸地域では豪雪・急峻な地形に起因する雪崩・落石の影響を受けずに発電運用できるという恩恵を享受している。
更に,火力,原子力発電所の取水路・放水路においては,施工性,安全性,工程短縮の観点から,トンネル構造が数多く採用されており,都市部の送電路においても,シールドトンネル等により数多くの洞道が建設されている。
このように,電力業界に大きな恩恵を与えてくれるトンネルについて,自身の経験を振り返りながら,少し思いを巡らせてみたい。

■トンネルの思い出
(1) 幼少期〜高校時代
私とトンネルとの出会いは必然であった。私は,富山県の黒部川扇状地の河岸段丘面に位置する小さな町で生まれ,5歳ごろまで家業の関係でトンネル建設の飯場(はんば)を転々とし,毎日,坑夫さんと花札やサイコロを転がし楽しく遊んでいた。と同時に,恐ろしい記憶も脳裏に焼き付いている。あれは確か,新潟県のトンネル現場での出来事であった。そこは,豪雪地帯であり,冬季は,一定の積雪深になった時点で越冬せず山を下りることにしていた。その日の朝は,それほど積雪はなかったものの,雪が降り始めたころ,飯場の責任者(筆者の父)が,急遽下山を決めた。母に背負われ,山腹の急斜面の細い山道を一列で里に向かって歩いていたとき,轟音が鳴り響いた。後ろを振り返ると,切り立った斜面の上から雪崩が我々に向かって迫っていた。雪崩は,自分たちが直前に通過した谷に沿って下っていき,間一髪で難を逃れた。山道は,雪崩で覆いつくされ,一歩間違えば,下山できないどころか,雪崩の下敷きになるところであった。いつでも下山できるように冬支度は早めに済ませておくこと,身の危険を予感したら,迷わず下山することが,豪雪地帯での鉄則であると教えられた。建設工事においても,周到な段取りと早めの判断が肝要であり,共通する勘どころである。

小学校に入ってからは,ぶかぶかのヘルメットをかぶり,週末や夏休みなどに,父に連れられ,多くのトンネル工事現場に入れてもらった。国道,高速道路,鉄道,水路などいろんな現場に入れてもらった。新幹線のNATM工法の現場では,二次覆工前の出来形検査に通らず吹付コンクリートを斫っているところなどを目の当たりにした。鉄道トンネルは線形を,水路トンネルは断面積や勾配を重視することなど,感覚的ではあるが,トンネルの目的により設計思想,出来形管理基準の違いを肌で感じたものであった。

(2) 大学時代
このような環境で育ったこともあり,大学では,土木を専攻した。真面目に勉学に勤しんだかは,甚だ?であるが,研究のテーマは,シールドトンネルなどの地中構造物の地震時の挙動についてであった。
これまで,幼少のころから山岳トンネルを造る側から漠然と見てきたことが,シールドトンネルの施工性,安全性に加え科学的な根拠に基づくセグメントの設計方法を知ることで,トンネルへ愛着が増々強くなっていった。

■電力土木技術者としてのトンネルとの関わり
 (1) シールドトンネル
入社した当時,電力土木施設においては,首都圏をはじめ大都市の送電用洞道としてシールドトンネルは数多く施工されていたが,当社ではシールドトンネルの施工実績はなく,「水力メインのこの会社では,将来に亘って,シールドトンネルの計画もないだろう」と先輩に言われていた。
 しかし,その後当社では,施工性,安全性に加え,既設構造物への影響を回避する観点から,敦賀火力発電所2号機取水トンネル(電力土木1991年1月号:報告)や志賀原子力発電所2号機放水路トンネル(電力土木2001年1月号:報告)において,シールド工法を採用することとなった。
残念ながら,水力を担当していた私は,これらの工事に直接携わることはできなかったものの,社内の研究制度を活用し,シールドトンネルの大深度化や大断面化などの新知見の収集を続けた。現在も,超大深度化や複雑な断面形状への対応,ICT化など,進化し続けているシールドトンネルであるが,一方で,地表変位の抑制など設計条件,施工管理基準もハイレベルとなってきており,今後も進化し続けるものと予想しており,引き続き新しい知見を収集していきたい。電力土木技術は,地質,材料,構造,水理,施工など幅広知識が求められる一方で,各人が得意な専門分野を持つことも,組織としての技術力向上の観点から,大切であると考えている。
 
 (2) 山岳トンネル
私は,水力設備の保守業務に長く従事してきたことから,山岳トンネルの内部点検の機会に恵まれてきた。ダム水路式の圧力トンネルでは,摩耗等の経年劣化がほとんどなく,100年単位で使い続けることができる耐久性に優れた設備と評価している。加えて,大出力の周波数調整用の発電所に多く採用されており,今後増加する風力・太陽光電源の出力変動にも対応できる機動力も持ち合わせている。
 一方,流れ込み式の無圧トンネルは,敷コンクリートの摩耗や天端コンクリートの欠落など,比較的劣化が進んでおり,計画的な改修が必要な設備と評価している。特に,資材が不足していた戦時中や戦後間もない時期に建設されたトンネルは,劣化の進行が顕著である。当社では,固定価格買取制度の活用を含め,水路トンネルの改修を多数実施・計画しているが,覆工の状態や地山の健全性を適切に評価し,改修範囲・改修工法を決定していくことが重要なポイントとなっている。

■おわりに
新型コロナが蔓延する直前,函館を旅行した。小さいころから,青函連絡トンネルに憧れ,一度は,行ってみたいと思っていたからである。青函トンネルは,記録によれば約100年前の大正時代から構想が練られ,1961年に建設開始,1988年に鉄道トンネルとして供用が開始された。その後も,新幹線仕様に対応する工事などを経て,ようやく現在の姿になった歴史がある。北海道新幹線(大宮駅〜新函館北斗駅)に乗車し,青函トンネルを通過しているときは,この壮大なプロジェクトに携わった方々の情熱や苦労とともに,自身のトンネルへの思いが交錯し,胸が熱くなった。
ここまで,トンネルついて思いを巡らせていたが,我々電力土木技術者は,トンネルに限らず様々な電力設備を計画し,建設,運用してきた。我々世代の責任は,先達から引き継いだ設備を改善しながら大切に運用するとともに,新規設備の建設にあたっては,次の世代に自信を持って引き継げるような創意工夫に富んだ構築物を造っていくことだと思う。そのためには,新技術などの情報を収集することが重要であり,電力土木技術協会会員各位には,興味ある分野,得意分野を持ちつつ,本誌への投稿を含め協会活動へ積極的に参加していただき,協会に情報が蓄積されていくようお願いしたい。協会を電力土木技術に関する情報のプラットホームとして活用していけば,会員のみならず所属組織の技術力向上,協会の発展に繋がっていくものと信じている。
(令和4年3月3日記)

     
     
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