会誌「電力土木」

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巻頭言

安全文化をつくる―作業者視点の安全全文化をつくる―作業者視点の安全

 

内海 博

東北電力? 執行役員 発電・販売カンパニー水力部長

 「今年一番うれしかったのは,水槽の土砂排除作業を行い,その結果,発電所の出力が上がった時です」水力を管理する事業所に勤務する入社 2 年目の土木系社員が語ってくれました。別の若手からは,長期に停止していた渓流取水の再開にあたって,作業に携わった多くの方々の苦労に感謝しきれないという言葉が聞かれました。
 当社の水力発電所は205箇所あり,運転開始から平均80年,100年以上続く発電所も52箇所と全体の 1/4 を占めています。脱炭素の潮流の中,水力による発電量を増やすための設備更新や設備運用における新たな技術の導入等を進めています。こうした取り組みの一方では堰堤や水槽などの土木施設は直接車両で行くことができない箇所も多いなど,維持する上で人の手がかかるのが実態です(写真―1)。そして,水力の作業における労働災害が必ずしも減っていない状況にあり,このことが大きな課題であると考えています。

 2020年 8 月,当社発電所の堰堤で排砂門に挟まった流木を撤去していた地元工事会社の作業者の方が川に流され,命を失う災害がありました。直接的な要因は作業方法に問題があったためですが,この背景には安全よりも作業性を優先したことが考えられました。依頼された仕事をともかく解決してあげようと考えるベテラン作業者の使命感がリスクのある作業を招いたのかもしれません。とても残念で申し訳ない思いであり,本件の再発防止策だけでなく,水力の仕事でこうした災害が起きないような安全文化をつくることを目的として取り組みをはじめましたので紹介いたします。
 まず,過去20年間の当社水力にかかわる災害を整理・分析してみました。死亡災害のほとんどが土木作業での事故であり,発生件数は過去から減少はしていない状況でした。死亡災害に至る要因の多くは,墜落・転落であり,特に河川に転落することによる溺れも複数発生しています。水力特有の事故かもしれません。土木作業において災害が多いのは,山間地や水際という作業環境の厳しさが基本にありますが,裏を返せばこうした条件に対応した工事関係者の安全意識,作業方法,安全管理そして安全文化ではなかったのではないかと考えています。安全の取り組みはこれまでも熱心に実施してきた,はず,でした。もしかすると,その対策は安全にとって逆効果だったかもしれない。余計なことをやっていたのではないか。危険個所だらけの現場環境においては,安全対策はつまるところ個々人の安全意識や作業習慣に依存していたのではないか。こうした問題意識から,当社水力の安全に関わる組織的要因を包括的に検討したものです。
 ここで議論になるのが,請負工事における発注者の関与はどうあるべきかになります。労働安全衛生法上の注文者は,「労働安全衛生を損なうおそれのある条件を附さない配慮」などが責務とされているため,これで十分ではないかという考え方もあります。当社では,事業に携わる作業者も含めた安全管理は当社の責務であると考えています。水力の工事をお願いしている小規模な地元工事会社では,必ずしも安全管理がしっかりしている会社ばかりではありません。仕事上のパートナーを支援していくという観点からも,発注者が関与することは重要であるものと考えています。ただ,その関与の仕方がポイントであるのは前述のとおりです。
 さて,あるべき安全文化の検討にあたっては,安全は誰のためにあるのかという原点に立ち返り,安全の取り組みの核となる考えを検討・設定しました。それが「作業者視点の安全」です。過去から現在まで,災害件数が多いのは,電力社員ではなく,水力事業を支える作業者の方々であるということ。そうであれば,作業者のことを知らなければ,作業者の安全は守れないと考えました。作業者がどんなことを考え,どんな思いで作業しているか。例えばマーケティングの世界では,顧客のことを知らずに商品は売れないので顧客の声を聴く努力をします。作業者を顧客に例えるとすれば,同じように作業者の声を聴き,思いを把握すること,そしてその声を作業方法や安全対策に活かせる仕組みが必要だと考えました。作業者から安全の気づきを聞くことは,作業者自身が自分の作業を考えるきっかけにもなり,自らを守る意識が醸成されるものと思われます。また,コミュニケーションが活性化され,尊重し合う雰囲気が現場内に作られることが期待されます。
 私たちの目指す安全文化はこうした「作業者視点の安全」に加え,「相互啓発型の安全文化」としました。「相互啓発型の安全文化」は,チームのメンバーが互いに信頼し,仲間への思いやりや相互注意がなされている組織になり,当社全体として取り組みを進めている安全文化の姿になります。安全文化は安全に関する組織文化ですので,組織の定義が重要となります。私たちの考える「組織」は,作業者,工事会社,電力といった工事関係者すべてと定義します。同じ組織でなければ真のコミュニケーションは成立しないとの考えからです。しかしながら,この文化を実現するのは簡単ではないと思われます。管理者が作業指示を行い仕事が進められ,上から下へのコミュニケーションが基本の作業現場であるとすると,作業者が管理者も含めて注意することは,とても難しいことのように思えます。すべての工事関係者が同じ意識でなければ達成できないでしょう。しかし大切な点は,こうした理想的な安全文化を「目指している」ということと考えます。めざす姿に到達すべく関係者が誠実に努力すること,そうした姿勢や行動そのものが安全文化であると考えています。
 このような安全文化を実現するため,作業者,ルール,安全文化など 5 分野,21項目の施策についてアクションプランを立案し2021年度より取り組みを開始しています。この施策の考え方は以下のとおりになります。
 〇末端ではなく,起点
 「末端の作業員」という言い方があります。しかし安全を考える上では作業者がスタートです。工事関係者間では敬意と感謝が基本にあることで,安全文化は醸成されると考えます。また,作業者の働きがいやモチベーションも安全に寄与すると考えられることから,労働環境の改善などをはかっていきます。
 〇伝えるだけでなく,引き出す
 管理者の思いが作業者になかなか伝わらないとはよく聞くこと。しかし,重視すべきは作業者が何を考えているかではないでしょうか。やりにくい作業はルール違反のもとになります。なぜ,災害は起こるのか,安全対策のヒントは作業者が持っています。作業者の声や考えを引き出す努力をしたいと思います。
 〇注意より,対策
 「注意喚起」という手法は広く浸透していますが,これで自分たちのやるべきことをやった気になることがあります。具体的な対策をとることなしで,安全は向上しないと考えます。数多くある危険個所も注意だけではなく,改善し減らす取り組み,更には極力,人間が関与しない対策を目指しています。
 〇唱えるより,行動
 安全の方針を関係者で唱和する取り組みは従来から行われていますが,往々にしてこれで終わり,唱和が目的になることがあります。安全の方針を安全行動に活かすことが重要であるため,その日の作業と紐づけして考えることや方針自体を自分自身の行動指針として置き換える自分事化の取り組みを行っています。
 〇ルールは最小限,習慣化された安全行動
 現場の状況は常に変化しています。安全のためとして,たくさんルールを作っても実効性は疑問です。ルールは真に有効な最小限とし,作業者が現場の状況を踏まえて安全行動が自然とできるよう習慣化されること。個々人が考えるとともに相互啓発が大事です。これまでの安全の取り組みは,ややもすると,過去の災害の再発防止策を積み重ねてきたきらいがありました。安全を先取りした取り組みを「作業者の安全に資するか」という判断軸で考え実施していきます。また,こうした取り組みの結果として安全文化の向上をどのように評価するか,PDCA サイクルをどう回すかについても検討をすすめています。
 〇発注者ではなく,工事会社が主体
 作業者視点の安全を具体化するためには,作業者と最も近い工事会社が主体性を持って取り組む必要があります。特に現場代理人や職長が第一線の安全管理のキーパーソンと考えます。今回の取り組みは,工事会社への押し付けにならないよう,具体策は各社の実態を踏まえ創意工夫しながら取り組んでもらえるよう理解を得るところからはじめています。

 歴史ある水力事業を次代につなぐことは私たちの使命であると考えています。自然の恵みである水を活かし,設備に働いてもらうには,人の力が必要です。携わる人それぞれが水力の仕事にやりがいや幸せを感じて欲しいと願っています。ましてや労働災害対策が置き去りにされ,事故が減少していかないことはあってはならないことです。作業してくれる方々の顔が浮かんでくるような作業者視点の取り組みをすすめ,より良い安全文化をつくっていきたいと思います。これが価値ある水力をつくる前提と考えます。冒頭に紹介した次代を担う Z 世代やミレニアル世代の言葉は,将来への希望とも感じるのです。


*東北電力? 執行役員 発電・販売カンパニー水力部長 会員 utsumi.hiroshi.kv@tohoku-epco-co.jp


写真―1 東北電力?上松沢発電所 堰堤・取水口(青森市・鳴沢)
八甲田山に続く県道で車を降り,そこから徒歩で急峻な山道を下り降りたどり着きます。冬季は雪崩災害防止のため巡視除外としています。ここ駒込川・鳴沢は新田次郎「八甲田山死の彷徨」で広く知られるようになった悲劇の舞台。1902年の厳冬期,青森第 5 聯隊はこの川に迷い込み,多くの犠牲者が出ることになります。

     
     
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