会誌「電力土木」

目次へ戻る

巻頭言

利水ダムの有効活用

 

橋本 長幸

?開発設計コンサルタント 取締役社長

 平成から令和へと元号が変わった2019年を振り返ると,天皇即位やラグビーワールドカップといった明るい話題と近年継続する自然災害である台風被害の暗い話題が混在した年であったと思います。令和 2 年となる今年については,オリンピックの年であり,自然災害のない明るい一年になることを祈っております。
 昨年の台風災害を思い返すと,台風15号の暴風による長期停電,台風19号の記録的豪雨による洪水被害(堤防決壊,71河川140か所,死者・行方不明者96人1))は,電力業界にとって,今後の業務に大きな影響を及ぼすエポックとなる災害であると思います。特に,関東・東北地方等広範囲に甚大な洪水被害を与えた台風19号については,その被害の甚大さから,国土強靭化対策の政府方針の一つとして利水ダムの有効活用等の動きが出ており,様々な議論や検討がなされていると思いますが,利水ダムである発電専用ダムの今後に大きな影響が出てくる課題であると思います。洪水被害等の激甚化,ダム再生ビジョンの推進,上述の治水への利水ダムの活用,再生エネルギーとしての水力発電の価値向上等々を鑑みると,近年の発電専用ダムを取り巻く状況は,新たなフェーズに入ってきたと痛感しています。
 ところで,私は電源開発?在籍時代に水力発電所の建設や保守管理の業務を数多く経験させていただきました。保守管理の業務で特に記憶に残っているのが,2011年の台風12号で,その被害の甚大さとそれに伴う地元対応及び利水ダムでの治水協力となる洪水被害軽減対策の策定に係わったことでした。2011年の台風12号は,大型で動きが遅く,台風周辺の湿った空気が長時間流入し,紀伊半島に多量の雨をもたらしました。この台風により紀伊半島では豪雨による洪水と土砂崩れにより大きな被害(死者・行方不明者96人2))となったもので,「紀伊半島豪雨」とも呼ばれています。土砂崩れについては深層崩壊であったと言われており,これに伴う大規模な土砂ダムの発生もありましたので,覚えておられる方も多いと思います。
 現在の状況と2011年の状況とは異なっていますが,この時の経験が治水への利水ダムの有効活用といった課題に対して,何かの役に立てばという思いで,その当時私が感じていた問題意識や治水協力に対する考えを以下に述べていきたいと思います。
 まず,対象となる河川である新宮川水系(河川名:熊野川)の概要を簡単に記述します。新宮川水系は,延長183 km,流域面積2,360 km2 で,河口 5 km の国管理部分を除き奈良県,和歌山県,三重県により管理され,水系には11ダムが設置されており,全てが利水ダムです。そのうち 6 ダムが電源開発?所有の発電専用ダムであり,その中の風屋ダム,池原ダムはそれぞれ総貯水容量 1 億 3 千万 m3,3 億 4 千万 m3 という大規模な貯水池を有しています。基本高水ピーク流量は河口近くの治水基準点で19,000 m3/s ですが,台風12号では,24,000 m3/s という膨大なピーク流量であったと推定されています。また,この台風による甚大な被害は,電源開発?所有のダム群の上流域では土砂崩れ,下流域では洪水を主たる要因とするものでした。
 台風12号の洪水被害発生に伴い,ダム下流域の関係市町村(ダム所在市町村を含め 7 市町村)の行政,議会,住民に対してダム操作等の説明を行いました。なお,本台風に対するダム操作は適正なものでした。この時の皆様のダムに対する認識は,?ダムは非常に大きいのでダムがあれば洪水は起きない,?洪水が起きるのはダムの操作が原因,?発電専用ダム,治水ダムも用途は関係がないダムはダムだ,?電気は都会のためだし,濁水を流すし,洪水を起こし,地元に何のメリットもないというものでした。台風直後のことですので厳しい意見が出るのは当然ですが,これまでさまざまな機会に説明をしてきていたことがほとんど理解されてないことが分かり,非常に残念でした。特に,この水系では平成初期の洪水被害の発生に伴い,風屋ダム,池原ダムにおいて発電運用に大きな影響を与えない範囲で洪水期に水位を下げて運用する自主的な洪水被害軽減への取り組みを行っていました。その中で前述のような認識であるということは,このままでは発電専用ダムへの地元住民の理解が得られなく,将来的にその存在も否定されるとの危機感を実感として持ちました。これまで発電専用ダムでもあり,治水効果や下流利水への流量確保といった効用を積極的に発信してこなかったことは反省すべきですが,それを効果的に発信する方法も課題と感じました。また,洪水被害軽減の取り組みについては,河川整備計画の対象流量をはるかに超える洪水が発生したことを考慮すると,この水系で大規模貯水池を所有する事業者には,一層進んだ取り組みが求められることは覚悟せざるを得ませんでした。
 少し横道に逸れますが,ダムや洪水に関しては専門的な用語が多くあり,それを住民の方々が理解できるように平易かつ簡潔に説明するのに苦労したことが思い出されます。例えば,ダムの大きさの表現(これについては,後日洪水期間の総流入量が総貯水容量の何倍分という表現を追加),発電専用ダムと治水ダムとの機能・構造の違い,洪水流量,河川の従前の機能の維持,遅らせ操作・時間等々がありますが,特に当時誤解と混乱を招いたのが事前放流という言葉でした。関係市町村に説明を初めて行う当日,ある全国紙の一面に,「他の水系の県管理ダムでは事前放流により被害なし,熊野川の電源開発?のダムでは事前放流を実施せず」といった趣旨の報道がありました(後日,事前放流を実施したダムでも大きな被害があったという部分だけの訂正記事が出されましたが)。治水ダムにおける事前放流の定義はありますが,発電専用ダムには事前放流といった操作はないということ,また,事前放流と利水ダムが洪水の前に発電やゲートで放流することの違いを理解していただくのはかなり困難なことでした。あわせて,最近よく使われる緊急放流という言葉も同様な問題があり,2 類,3 類ダムでは洪水対応時の放流はほとんどが緊急放流となってしまいます。今後,水力発電の必要性,利水ダムの治水や下流利水への効用,治水ダムとの機能・構造の違い等々を理解していただけるように一層努力しないと,洪水の前に事前放流でダムを空にしろとか,緊急放流を行ったから洪水が起きたといった極論となる恐れがあります。地道なことですが,あらためて住民の皆様の目線で分かりやすい発電専用ダムについての用語や説明を検討し,積極的に発信することが必要であると思います。
 更なる洪水被害軽減対策については,学識者,国・3 県の河川管理者および電源開発?を委員とする技術検討会を設けて検討を行い,その結果,翌年の出水期から風屋ダム,池原ダムにおいて水位を更に低下する暫定的な運用として開始しました。この水系の過去の洪水は南の海上から北上してくる台風由来のものがほとんどでしたので,台風の進路予測と降雨予測といった気象予測技術の適用により,発電運用に大きな影響を与えることなく,更なる対策が可能となりました。過去の実績から,どの進路の台風が影響したかを検討し,水位低下に必要な時間と台風の位置との関係と予測降雨量とから水位低下開始基準を設けました。これにより,両ダムで更なる空容量を確保して,洪水時の放流量を低減させる運用としました。この運用は,熊野川筋の風屋ダム群と北山川筋の池原ダム群で連携が必要であること,河川整備の状況を勘案すると早急に実施する必要があること等から,電源開発?による自主的な運用として,水位低下は発電により行うこととし,ダムの構造上の特性や下流利水者等への影響等を勘案して決定しました。なお,自主的な運用とは言え,本運用は各ダムの操作規定に紐付けし,河川管理者の承認を得て実施しています。本運用は,その後も毎年検討会でその効果や課題を整理し,継続的な改善を行いながら現在に至っています。河川管理者は,この運用を開始した2012年から河川整備やこの治水協力による効果を,代表地点の水位低下効果として台風直後に発表しています。昨年 8 月の台風10号においても発表されており,水位低下効果により,浸水被害が頻発する地点で家屋の浸水被害が回避されたとの内容でした。また,発電専用ダムの治水協力に対する行政からの評価のコメントも出されており,前述した課題である発電専用ダムの効用の積極的な発信の一つの解決策となっていると思います。
 2011年の台風12号を契機とした治水協力の状況からお分かりのように,この水系に同じ事業者が所有する大規模貯水池を有するダム群が存在していたこと,この地域の洪水が台風由来であったこと,台風進路予測や降雨予測等の気象予想技術の適用が出来たこと等,水系独自の条件があって初めて可能であったと言えます。現在検討が進められている全国大での利水ダムの有効活用についても,各水系によって条件が様々に異なる中での検討になります。水系内に利水ダムだけでなく,治水ダムや利水ダムが混在したり,治水協力も単独ダムあるいはダム群として対応すべきであったり,様々なケースが想定されます。また,利水ダムといってもその規模や構造が異なっており,全てが治水に有効に活用できるものではありません。
 例えば,異なった所有者のダム群で治水協力する場合,ダムの規模,構造から活用できるダムを選定し,共通の考えの基準で連携して水位低下を行うことが必要です。バラバラの考えで放流や貯留するのでは有効な効果は発揮できません。このような共通の基準の設定においては,前述した気象予想技術の採用といった技術的な検討が必要となると考えられます。今後,利水ダムの活用に向けて,どのような制度が構築されるかは分かりませんが,技術的な検討やダム群の連携のルールの制定等が適切に実施され,効果的な活用となることを期待しています。また,損失に対する負担の仕組みについては,これまでも議論はありましたが制度化には至っていません。利水ダム(発電,農業,上水等)の事業者やその下流においては漁業,観光,農業等の事業者が事業を営んでいます。利水ダムの活用をより積極的に実施していくためには,これらの事業への損失負担の仕組みが必要であると思います。
 自然災害が激甚化していく中,既存のインフラ設備を活用しようとする流れは避けようもないと思います。そのような状況で,電気事業と住民の皆様への防災・減災への貢献を両立させるという課題を解決していくことは,電気事業に係わる技術者としての使命であると思います。最後に,発電専用ダムが電気事業と治水協力を両立させ,地元住民の皆様に受け入れられながら永続していくことを祈念しております。
 なお,本文を執筆した時点は,利水ダムの有効活用について鋭意検討されている段階であり,検討内容等を存じ上げていない中で記述したものであることをご理解いただければ幸いです。

1) 読売新聞 2019年10月30日朝刊   2) 消防庁 HP 災害情報

     
     
ページのトップへ