会誌「電力土木」

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巻頭言

黒部川源流にて

 

吉津 洋一

?ニュージェック 代表取締役社長


 新年あけましておめでとうございます。電力土木技術協会会員の皆さまにおかれましては,健やかに新年をお迎えのこととお慶び申し上げます。

 私はここ数年,山の日にかけて富山の友人と北アルプスに登ることにしている。昨年は有峰湖畔から太郎平を経て薬師岳山荘に投宿し,翌朝美しい雲ノ平の高原を抜けて,一路黒部川源流を目指した。三俣蓮華岳を右手に見ながら東へ進み,左手の祖父岳と前方に聳える鷲羽岳の間を北へ回り込んだところに黒部川水源地標を見つけたが,この時期はまだ雪渓がそこここに残っており,川にもかなりの水量があったので,さらに川沿いに北へ遡り,東沢谷との分水嶺近くでついに黒部川の最初の一滴を見止めることができた。そこは激流黒部のイメージとは程遠く,チングルマなどの可憐な花々が咲き乱れる長閑な草原であった。言葉にならない感動を覚えながら尾根を越えて行くと,程なく水晶小屋に着いた。ザックを下ろし,やれやれと腰を下ろし,夕食までしばらく時間があったので携帯のスイッチを入れた。そこにこの巻頭言の執筆依頼が届いていた。

 水晶小屋からは遠く黒部ダム湖が見えた。ここに降る雨はやがてダム湖に流れ込んで電気を起こし,美しい渓谷を流れて観光客の目を楽しませ,黒部奥山の動植物に水を与え,魚類を育み,田畑を潤す。また,時として,激しい洪水となって山河を削り,雪崩となって岩肌を削ぎ落し,土砂の掃流・堆積を繰り返しながら,やがて85 km 先の日本海に流れ込む。そしていつの日か雨や雪となってまたここへ戻ってくる。世の中がどのように変化しようともこの大自然のサイクルは決して揺るがない。夕陽に染まりゆく北アルプスの山々の陰影,大空に広がる黄金色の雲,吹き渡る風の音,地平線に沈み行く真紅の太陽,そして漆黒の暗闇の中で満天に広がる星の煌めき・・・黒部奥山の大自然の中で,これまでの来し方に思いを馳せた。

 私は関西電力に入社してすぐ,宇奈月にある関西電力北陸支社黒部川水力調査所に赴任した。調査所と言っても,いわゆる新規水力地点調査ではなく,黒部川水系一貫開発の最終プロジェクトである新愛本水力発電所(現,音沢発電所)建設工事の準備を進める組織であり,私はここでダムやトンネルの基本設計業務を担当した。建設工事が始まると 8 km ほど上流の出し平ダム工区に異動になり,現場事務所でダムおよび付属工作物の詳細設計や施工監理の仕事に従事した。冬の積雪は優に 2 m を超え,しばしばトロッコ電車沿いに設けられた冬季歩道を宇奈月まで歩いた。夏の洪水は凄まじく,河川転流工を流れる巨岩は水中でぶつかり合ってゴロゴロという大音響とともに火花を散らした。自然の厳しさには心底驚かされたが,大きなやりがいを感じながら,黒四の戦士たちの背中を必死になって追いかけた。

 黒部川の電源開発の歴史は大正年間に遡る。大正 6 年,タカジアスターゼの発明で有名な高峰譲吉博士が,アルミ精錬の電力を得るために,工部大学校(現,東京大学工学部)を出て逓信省に就職していた若手技師山田胖を呼び寄せて黒部川の電源開発計画の策定にあたらせた。山田は宇奈月から測量部隊を従えて,黒部川の断崖絶壁に足場を確保しながら前人未到の黒部奥山に分け入った。山田の偉業はその調査・計画の正確さにとどまらず,上流の黒薙から宇奈月まで引湯管で温泉を引き,スキー場を作り,現在の宇奈月温泉街の基礎を作ったことにある。以来,ここを拠点として上流に向かって電源開発が進められることになる。昭和 2 年に柳河原発電所,昭和11年に黒部川第二発電所,昭和15年に黒部川第三発電所(黒三)が開発された。黒三建設工事は,泡雪崩や160℃もの高温岩体に苦しめられたが,その過酷さは「高熱隧道」(吉村昭著)に詳細に記されている。そして戦後復興期の電力不足を補うために,関西電力初代社長太田垣士郎は「七割成功の見通しがあったら勇断をもって実行する。それでなければ本当の事業はやれるものではない。」と黒部川第四発電所(黒四)の開発を決断する。プロジェクトの成否を握る資機材輸送の生命線,大町トンネルの建設は大破砕帯に遭遇し,工事中断の危機に直面したが,太田垣社長の強いリーダーシップの下,鉛筆一本,紙一枚でも倹約してこれを支えようと心を合わせた関西電力社員の協力と,関西電力技術陣および笹島信義氏率いる熊谷組笹島班(現,笹島建設)の死力を尽くした奮闘の末,見事これを乗り越えた。以来,大きな困難に直面した時の不撓不屈の精神力と固い結束力は,「くろよんスピリット」として,関西電力社員の DNA に深く刻み込まれている。

 この技術と経験を次に活かすべく,黒四竣工後,黒四経験者たちは新日本技術コンサルタント(現,ニュージェック)を設立し,インドネシアでサグリン,チラタ,バカルなどの大水力の開発に従事した。また,関西電力は,90年代後半から東南アジアにおける水力 IPP 事業に進出し,サンロケ(フィリピン,2003年運転開始),ラジャマンダラ(インドネシア,昨年 5 月運転開始),ナムニアップ 1(ラオス,昨年 9 月運転開始)などを手掛けた。中でも,「第二のくろよん」こと,ナムニアップ 1 プロジェクトは,メコン川水系ナムニアップ川に167 m の重力式コンクリートダムを築造し,約29万 kW の電力をタイおよびラオス電力公社に売電するというグリーン・フィールドのビッグプロジェクトである。技術面,環境面,および商務面であらゆる困難に遭遇したが,これをナムニアップ 1 パワーカンパニー(SPC)を主導する関西電力と,土木工事,水車・発電機製作・据付,ゲート・鉄管製作・据付をそれぞれ担当していただいた大林組,日立三菱水力,および IHI の受注者グループが,オールジャパン体制で協力し合って完成させた。困難は人を育てるというが,このプロジェクトに携わった若い技術者たちは技術面のみならず,精神面でも大きな成長を見せてくれた。こうして「くろよんスピリット」が次の世代へと引き継がれていくことは,何事にも代えがたい喜びである。

 昨年は多くの台風が日本列島を直撃し,至る所で大きな土砂・洪水氾濫が発生した。なかでも,台風19号は関東・甲信から東北地方にかけて実に71河川で140か所もの堤防決壊を引き起こし,多数の死者・行方不明者,家屋浸水,交通遮断などの甚大な被害を出した。この台風は,海水温が30℃前後あったマリアナ諸島付近海域で急速に発達し,平年より海水温が 1〜2℃高かった日本近海でも勢力を落とさず,「大型で非常に強い勢力」を保ったままで伊豆半島に上陸したとされているが,地球温暖化に伴う気象現象の変化が現実のものとなった現在において,決して異常気象で片づけられるべきものではない。現在,気候変動を踏まえた治水計画の再構築の議論が進められており,ダム再生や防災・減災,国土強靭化に向けた緊急対策などによるハード対策が進められつつあるが,こうしたハード対策の推進に加えて,気候変動を踏まえた各種シナリオに基づく浸水想定,それらに対し十分安全な避難場所の確保,発災前の余裕を持ったタイムラインの構築や避難訓練などのソフト対策も充実させて,社会全体で水害リスクの低減を図る「水防災意識社会の再構築」を迅速に進める必要がある。

 一方,国の「長期エネルギー需給見通し」では,2030年の電源構成として,再生可能エネルギー22〜24%,原子力20〜22%が示されており,エネルギー供給構造高度化法では,「2030年度に非化石エネルギー比率を44%以上にする」ことが定められている。このエネルギー・ミックスは国連気候変動枠組条約における日本の温室効果ガス削減目標の基礎となっており,国際的な約束の履行にも直結したものである。原子力の目標達成がなかなか見通せない状況の中で,再生可能エネルギーの比率を少しでも増やすために,FIT 制度をはじめさまざまな取組みが進められているが,不安定で,地域偏在性の高い太陽光や風力だけではなく,廉価で,耐用年数が長く,CO2 排出原単位が極めて低く,安定性や周波数調整能力の高い水力の維持・更新・増強および新規開発を進めることは,電力土木技術者のみならず日本国民に課せられた大きな責務である。

 気象予測精度が飛躍的に向上し,降水量や流量・水位データ等の常時監視が容易になった今こそ,「洪水を貯めるために空容量を確保する治水運用と,渇水に備えて水を貯める利水運用との両立は困難である」という固定観念を捨て去り,既存ストックの設置目的の如何にかかわらず,国民のニーズに合わせて,それぞれの運用を最適化することはできないものだろうか。洪水リスクが低い時(非出水期)には水位を上げて利水(発電)を優先し,洪水リスクの高い時には余裕をもって水位を下げて洪水に備えるというような弾力的なダム運用を,AI や IoT などの革新技術の力を借りて,複数ダムで連携を取りながら実施することができれば,まったく違う世界が見えてくるのではないだろうか。そのためには,ステークホルダーである治水,利水,および地域社会の三者が一堂に会し,「三方一両損」の精神をもって,それぞれが取るべきリスクについて建設的な議論を闘わせ,それぞれが WIN-WIN-WIN となるグランドデザインを描く気概が必要である。

 激甚化しつつある自然の力にただひれ伏すのではなく,そこから得られる教訓を社会全体で共有し,ひとつひとつ改善を重ねていくならば,日本国民は必ずやこの困難を乗り越えることができるであろう。そしてここでもまた「くろよんスピリット」の真価が発揮されることを信じながら,今年は去年より少し良い年にしたいと思う。

     
     
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