会誌「電力土木」

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巻頭言

就任の御挨拶

 

川原 修司

(一社)電力土木技術協会 専務理事

 この 6 月 1 日をもって,専務理事に就任いたしました川原です。どうぞよろしくお願いいたします。

 さて,ご挨拶ですが,これまでの些末な体験を含めた自己紹介をもって代えさせていただきます。

 私は,昭和52年に当時の通商産業省資源エネルギー庁公益事業部水力課に入りました。当時の水力課は,課長をはじめ総勢15人あまりと,今では考えられない体制でした。建物は竹筋コンクリートで出来ていると噂されるほどのもので,建物の窓の外にクーラーの室外機が並んでいました。もちろん,ワープロやパーソナル・コンピューターなど一切なく,あるのは電卓ぐらいのもので,まさしく昭和の光景がそこにあったように思います。

 水力課では,流速計検定所というところに配属されました。そこでは,河川流量の測定に用いる流速計の検定を直轄で行っていました。具体的には幅 2 m,長さ50 m ほどのプールの両側にレールを設置し,台車のような電車から流速計を水中につりさげ,電車の速度を段階ごとに上げて,その時の流速計のプロペラの回転数から,流速と回転数の関係を示す 1 次式を求め,それを検定証として発行していました。そのときの誤差は数%というものでした。この誤差について,私は,既に定められていた厳しそうな数値だからそれでよいとしか思っていませんでした。流速計がどういう状況で使われるのか,プールの中で流速を測るのとどれほど条件が違うのか考えてみることもありませんでした。実際のところは,流速測定をする河川の流れには乱れとかがあること,時には,河川内の岩などに流速計をぶつけてしまったりすること等々,全く考えてもみず,また,水力計画を策定するために流速計の精度がどれほど影響するものか考えてもみませんでした。今更ながら,ある事柄を厳しくすることが全体の目的から見て,意味があることかどうか考えてみることが必要だったと思います。

 また,検定終了後,新しい流速計を取り換える際には人がレールを跨いで作業をしますが,その最中に電車を発進させると人命に係る事故となります。ところが,発進スイッチなどの操作盤は全く別の場所にあったので取換作業の様子を見ることができません。そのため,取替作業が終わったことを「チン」という昔の手回しの黒電話のベルの音で知らせるという方法を用いていました。ある時,流速計の取換作業中に,私は他の作業をしていて,その音が鳴ったかどうか確信がないまま発進スイッチを押してしまいました。幸いにして,取換作業開始時には手動で電車上の操作盤の電源を切るようにしていたので大事に至りませんでした。私は,ひどく怒られましたが,只々良かったと思うだけで,このようなミスをなくすための処置を講じなければ同じことが起こると想像するまでには至りませんでした。

 流速検定所を離れてからは,水力発電所の工事計画の審査,使用前検査,原子力発電所の設置許可及び工事計画認可に係る耐震設計の審査などを経験してきました。その間,兵庫県南部地震,宮城県沖地震,新潟県中越沖地震などがあり,その度に原子力発電所の耐震設計は大丈夫かといった各方面から心配する声に対して,地震動により建屋や機器に発生する応力と許容限界の比較結果についてのみ地元説明や報告を行ってきました。今から思うと基準地震動 S2 を少なからず超えたとしても,それが建物や機器の機能損傷を起こすようなことにはならない設計の考え方であることを丁寧に説明しておくべきだったと反省しています。

 また,経済産業省を離れていた時もありました。当時は海外経済協力基金といっておりましたが,そこでは,海外水力開発案件に対する円借款の実施可能性の技術的審査を担当していました。また,JETRO のバンコック事務所に派遣され,タイの染色産業の水質汚濁対策の技術協力として,タイ政府機関や日本から派遣された専門家と一緒に現地企業の水処理担当者に対して水質改善セミナーの開催をしてきました。なかでも海外経済協力基金のときに,インドネシアにおいてダム建設により広範な地域の水没を生じさせ,村落の住民の生活の場を消失させる水力発電プロジェクトに対する円借款案件を経験しました。現地に行った際,水没住民と事業者側の生活再建に係る集会に参加しましたが,その時は,水没補償は政府側の仕事であると安易に思っておりました。最近になって「チラタ村の日々」という本を読んだのですが,これはインドネシアのチラタダムの建設にかかわり心身ともに無理を重ね現地で亡くなられた日本人土木技術者等の話でしたが,村落の水没により生活の場を失う住民の将来への苦悩,村を二分する賛成派と反対派の争いなどが描かれていました。そのとき,インドネシアの集会に参加した住民も苦悩の表情を浮かべていたことを急に思い出しました。

 そして,東北地方太平洋沖地震です。当時,私は四国の産業保安監督部におりました。執務室の窓からは,のどかな瀬戸内海の風景が広がっておりましたが,突如としてテレビから地震のニュースが飛び込んできました。当初,マグニチュード 8 の地震と報道されておりましたが,その後マグニチュード 9 に訂正されました。2004年にインドネシアのスマトラ島沖で同規模の地震が発生した時,私は日本でマグニチュウド 9 のような地震が発生することはないと思い込んでいましたので,耳を疑うようなことでした。テレビの映像には原子力発電所付近で津波が大きな水柱を立てる状況が中継され,その後,極めて深刻な状況に陥るのが徐々に明らかになったわけです。思い込みは,次の展開を閉ざしかねないため,気をつけないといけないと思います。

 このようなことを重ねてきた私ではありますが,電力土木技術協会会員の皆様のご発展のため,お役に立ちますよう心掛けてまいりたいと思いますので,よろしくお願い申し上げ,ご挨拶といたします。

     
     
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