会誌「電力土木」

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でんたん

第31回 民家と共存する石川県最古の発電所;神(み)子(こ)清(し)水(みず)発電所(北陸電力株式会社)

 

 石川県で現在最古となる神子清水(みこしみず)発電所は,1 級河川手取川水系大日川の中流域の白山市に位置し,明治41年に運転を開始した最大使用水量2.20 m3/s,有効落差25.20 m,出力440 kW の水路式発電所です。
 この発電所完成には様々な経緯があり,明治20年代に地元民が灌漑用水として水路建設を試みましたが,トンネル部の岩盤が硬く建設が頓挫しました。その事業の建設負担金(借金)に耐え切れずに田畑を手放し北海道へ渡った人々もいました。その後,明治38年に小松市にある遊泉寺銅山が事業の拡大に備え,鉱山用の電力が必要となることから,電源となる水力発電所の適地として大日川まで足を延ばして調査を行いました。そこで神子清水地区に水路建設跡を見つけ,この水路跡を利用する発電所計画を決めました。地元との交渉では「地元から水路・発電所用地を安く提供する代わりに,灌漑用水として分水する」という契約がされました。
 神子清水発電所は遊泉寺銅山の技術によりトンネル掘削が円滑に進み,工期 2 年余りで水路が完成しました。また,水路工事の作業員として地元民が採用され現金収入の少ない地域での貴重な収入として喜ばれました。その携わった地元民の総意で工事完成を祝い,明治41年に「水路記念碑」が建立されました。
 明治41年12月,集落の名前にちなんで「神子清水発電所」が完成し出力280 kW にて運転が開始されました。昭和26年に当社が譲受し(電力再編成),昭和62年に老朽化した建物を集落に馴染むようコンパクトな建物としてリニューアルしました。また,440 kW へ出力アップし貴重な再生可能エネルギーとして電力事業に今でも貢献しています。
 この遊泉寺銅山の名義は竹内綱氏ですが,実質的経営者は長男明太郎氏であり,彼は遊泉寺銅山の鉄工部門を「小松鉄工所」として小松駅近くで開設しました。銅山が閉鎖された後は独立して「小松製作所」を興し,戦中の軍事工場として,戦後は国産初のトラクターやブルドーザーを開発し,建設機械や産業機械の世界トップメーカーとなった現在の「株式会社小松製作所;コマツ」の礎を築きました。
 発電所近くには,名水百選に選ばれた「弘法池の水」という河床の岩が削れて出来た穴から水が湧き出る珍しい泉や「鳥越城跡」があります。鳥越城は,北陸一帯が加賀の一向一揆に支配されていた室町時代後半(1480〜1580年頃),本願寺宗派の武将が白山山麓に1570年頃築いた主城です。後に織田信長家臣の柴田勝家に攻め落とされた「加賀一向一揆最後の城」として有名です。地元には,戦に挑む前に一向宗徒が蕎麦を食して戦列に加わったという逸話が残っており,また,周辺は昔から蕎麦の有名な産地であることから,発電所近隣には個性のある蕎麦の専門店が 7〜8 軒ほど営業しており,近くに立寄りの際は美味しい蕎麦を是非味わって頂きたいと思います。

     
     
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