会誌「電力土木」

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巻頭言

2 つの国産旅客機のはなし

 

杉山  弘泰

電源開発(株) 取締役常務執行役員


 私はこれまで国際事業を担当しており飛行機に乗る機会も多く,その際に考えたことなどをご紹介したいと思う。

1. MRJ
 昨平成27年(2015年)11月,初の国産ジェット旅客機である MRJ(三菱リージョナルジェット)が初飛行を行った。ニュース番組で放送された青空に吸い込まれて行く白い新鋭旅客機には初々しさを感じた。
 現在,世界最大の旅客機は 4 発エンジンの総 2 階建,エアバス A380だ。これは標準座席数550席,航続距離15,000 km 程度。主として日本からは欧州便やアメリカ便などに使われているが,会社は私のような土木技術者に対して欧米先進国に行けとの出張命令はしなかったので,縁が無かった。一方,電力需要の伸びが旺盛で発電所建設事業が多い東南アジアへ向かう便は良く利用した。ここで使われているのは双発のボーイング767,777や新鋭の787,エアバス A330などである。座席数は200〜300席程度,航続距離は10,000〜15,000 km 程度だ。これより小さい小型機にはボーイング737やエアバス A320等があり,双発で座席数は150〜200席,航続距離は5,000 km 程度。国内線でお世話になることが多いが,国際線では関西空港からハノイ(ベトナム)くらいまでは飛んで行く。
 今回の MRJ はこれよりもさらに小さく,座席数は70ないし90席,航続距離は3,000 km,巡航速度900 km/h 程度である。国内地域間の航空需要をターゲットとしている。これまでは ATR72等(東南アジアの国内線ではよく見かける高翼機,70席,速度500 km/h,航続距離2,000 km)のターボプロップ機の領域であった。MRJ はこうした小型機市場に挑戦するという計画である。そのスタイルは丹頂鶴の飛翔をモチーフに決められたと聞いたことがあるが,空気力学的にも優れている形状だとのことである。

 MRJ は「環境適応型高性能小型航空機」というコンセプトで開発がスタートした。ここでいう環境適応型とは燃料消費量の少ない航空機を意味していた。機体設計には最新の CFD(数値流体力学 Computational Fluid Dynamics)が用いられ,より抵抗の少ない形状に設計されている。電力分野では火力発電のタービンの設計や水力発電の水車の設計等に利用されている技術である。機体の一部には CFRP(炭素繊維強化プラスチック Carbon-Fiber-Reinforced Plastic)による軽量化が図られ,エンジンには高効率の GTF(Geared Turbo Fan)エンジンが採用されている。この結果,燃費が向上し運用コスト低下が見込まれ,さらに CO2 排出量も小さくなっている。

 この話は,私たちの仕事では石炭火力発電における超臨界(SC;Super Critical)や超超臨界(USC;Ultra Super Critical)ボイラ,タービンの開発物語と似ている。私たちの先輩諸氏は高騰する燃料価格に対抗するため,より少ない燃料で同じ kW が発電できる石炭火力発電所用ボイラ,タービンの開発を目指し,高温性能の優れた材料を開発,USC 技術を熟成して行った。その結果 USC は「kWh あたりの CO2 排出量が少ない石炭火力」として世界中から注目される技術となった。今日では更に AUSC(先進的超超臨界石炭火力発電 Advanced Ultra Super Critical),IGCC(石炭ガス化複合発電 Integrated coal Gasification Combined Cycle)へと展開されている。
 環境適合性は,それ自体を目的として技術開発が行われることもあれば,燃料コスト削減等を目的とするような事業合目的的に行われる技術開発が,結果として環境適合性を有するという事もあるということだ。現在の火力発電関連技術では,CCS の技術開発(二酸化炭素(CO2)回収,貯留技術;Carbon dioxide Capture and Storage)は前者の事例,USC 等の技術開発は後者の事例と言えるかもしれない。

 「経済的に有利なものが環境適合性も良い。」というコンセプトは,土木構造物では,より顕著であろう。当社沼原揚水のような「高落差+小さな上池調整池」という環境適合性の良い発電所は結果として経済的な発電所となろう。経済性を目的に地表改変面積の縮小が追及され,結果として環境適合性にも合致したとも言える。大深度地下の高速道路や中央リニア新幹線トンネルなどは,直接工事費は高くなるだろうが,高額な用地買収費を不要とし,かつ騒音,振動,排気ガス等の影響低減から環境適合性を満足しているだろう。土木構造物では,経済性の追求が環境適合性を向上させる事例が多いことを認識しておきたい。

2. YS11
 YS11は我が国初の国産旅客機であり,私たちの世代では知らない人を探すのが難しいほど有名だ。
 ぴんと張った長い主翼と独特の甲高い双発のターボプロップのエンジン音で少し機首を上げ気味に着陸進入してくる様子は,なんとも言えず優雅であった。その名称は,輸送機(Y)設計(S)の設計番号付与法がそのまま機名となったもので,10の位がエンジン形式,1 の位が機体形状を示しているそうだ。
 昭和20年(1945年)日本に進駐した GHQ(連合国軍最高司令官総司令部 General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers)は航空機製造を禁止,昭和27年(1952年)の対日講和条約発効し,日本が独立を回復するまで航空機に関する研究,製造はできなかった。この空白の 7 年の後,日本の航空機技術の発展のため,当時の主力輸送機 DC3 の後継機として国産旅客機 YS11が立案された。基本設計は1956年(昭和31年)にスタート,陸海軍等の名機を設計した 5 人の著名な設計技術者が参画,映画「七人の侍」から「五人のサムライ」と呼ばれたという。

 同じ時代,電力不足に呼応し「天竜東三河特定地域総合開発計画」が決定され,佐久間ダム建設計画がスタートした。佐久間発電所は昭和28年(1953年)12月の仮排水トンネル工事より建設工事が開始され,昭和31年(1956年)4 月に運転を開始している。また,日本初の大規模ロックフィルダムである御母衣ダム(昭和32年(1957年)5 月仮排水路着工,昭和36年(1961年)運開),只見川水系の田子倉ダム(昭和28年(1953年)資材運搬鉄道着工,昭和35年(1960年)運開),奥只見ダム(昭和29年(1954年)12月進入道路着工,昭和36年(1961年)7 月運開)等,戦前からの大規模な水力開発計画が次々と実施に移され,着工されている。黒部ダム建設を描いた映画「黒部の太陽」では,三船敏郎演じる黒四建設所次長が立山を越えて黒部川御前沢に降り立ったのが昭和31年(1956年)6 月とされている。

 昭和34年(1959年)には,YS11の実施設計,製造主体として「日本航空機製造株式会社」が設立された。実施設計では,「五人のサムライ」による基本設計を,民間旅客機という観点から,より現実的なものとする検討,設計が進められた。軍用機の基本設計思想から,より安全で乗り心地の良い,信頼性の高い民間機へと作り上げたのである。このため,YS11は後年「サラブレッドの血を引く農耕馬」と言われたという。
 昭和37年(1962年)に初飛行,東京オリンピックの年である昭和39年(1964年)に耐空証明を取得,試作 2 号機は日本全国にオリンピックの聖火を運搬した。昭和48年(1973年)5 月までに182機が製造され,平成18年(2006年)に鹿児島―種子島線を最後に国内民間航空路から引退した。

 YS11の非凡さは,そのオーソドックスな設計にあるといわれる。
 「旅客機は,毎日,毎日,雨の日も,寒い日も,暑い日も,黙々と飛び続けて,ささやかな利益を上げてゆく商売に従事しているのだから,軽量の傑作機や高性能の名機であるよりも,手間がかからず安心して飛ばすことのできる飛行機でなければならない。」**を体現した飛行機であったからこそ,生産終了後も30年にわたり世界中で飛び続けることができたのだろう。
 YS11の誕生,運営の物語は,私たちの仕事に似ているように思う。
 電力土木構造物もまた酷暑,風雪,波浪に耐え,確実に計画された機能を発揮し,安定的な電力供給に貢献し続けている。このためには,その予定した機能を十分に発揮できる基本計画,設計がなされ建設されている必要があり,また長期に亘る設備劣化や堆砂等の自然環境からの影響に対して,課題を発見して適切な保守管理が行われている必要がある。現在,私たちの目の前には,このようにして計画・設計,建設がなされ,現在も適切に維持管理が行われ,それを今後も続けて行く設備が多く存在する。YS11の開発と同時代に建設され,MRJ が離陸した現在も現役として運転されている設備を誇りに思う。それは同時に,その時々で設備に関係した先輩,現役の仲間を誇りに思うということでもある。

 2020年には東京オリンピックが開催される。国産旅客機が聖火を日本国中に運ぶのだろうか。その時電力土木技術は,どのような形で社会に貢献しているのだろうか。

     
     
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