会誌「電力土木」

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巻頭言

これからの技術者の方々に向けて

 

園田 利美津

九州電力? 執行役員 エネルギーサービス事業統括本部 水力発電本部 水力開発総合事務所長

 九州熊本には,かつて江戸時代末期から明治時代にかけて,「肥後の石工」と呼ばれる技術者集団がいたと聞く。火山灰質の台地への水の供給を目的としたサイフォン構造の水路管を擁する「通潤橋」に代表される石橋群が熊本県内には数多く残されており,石工達が築いた橋梁の多くは,現在も橋梁としての機能を果たし続けている。そして熊本で活躍した石工たちは,その後九州内に留まることなく東京神田の万世橋など日本を代表する見事な石橋を造り続けてきたという。2019年 7 月,九州電力?はその熊本に,純国産の再生可能エネルギーである水力の開発プロジェクトの迅速かつ確実な推進を目的として,九州管内の再開発工事等を実施する「水力開発総合事務所」を設置した。私は約 2 年前から熊本の地で生活しているが,熊本や大分には,肥後の石工たちの建造物に限らず,江戸時代末期から昭和初期にかけて築造された,主に農業用水の供給を目的とした堰堤,水路(水路橋を含む),分水施設など石造の構造物が数多く残されており,これらが今なお現役の設備としてその機能を果たし続けていることを改めて知ることとなった。とりわけ,今のように電子計算機もない時代に,水路の線形・勾配や 3 次元立体構造による堰堤背面の減勢機能,流水抵抗を抑えるための橋脚形状など,緻密な計画の下,設計・施工が行われていたことには,畏敬の念すら抱かざるを得ない。これらの設備を目の当たりにするたび,当時の土木技術者達が,「人々の生活をもっと良くしたい」との執念にも近い一念と誇りを持ち続け,これらの事業を完遂させてきたことが想起され,私自身も土木技術者の 1 人として,永く社会や世の中のために機能し続ける施設を 1 つでも多く後世に残さなければという,強い使命感を感じるのである。
 本稿では,将来を担う若い技術者の方々が,これから自ら成長していく際の一助になればとの思いから,私の土木技術者としての経験を通じたこれまでの学びについて紹介させていただく。

 私は1978年に九州電力?に入社し,入社以降43年間,その殆どを水力発電所の建設,保守・運用に従事してきた。入社直後に携わった五家荘(ごかのしょう)発電所新設工事は,オイルショックの影響を受け,九州各地で新規の中小水力発電所の建設が相次いでいた時代背景の中で実施されたプロジェクトで,7 つの取水堰,総延長約16 km の導水路を始めとする設備を新設し,最大出力14,000 kW の発電所を建設するものであった。この工事の建設所は平家の落人伝説が継承される熊本県八代市(やつしろし)泉町に設けられ,ここで 4 年間,水力発電所の建設に従事し,水力土木の基礎を修得した。懐かしい思い出であるが,水路から河川への流出部の模型を自分で合板などを組み立てて製作・実験し最適な形状を検討したり,山間部で土捨場容量に限りがある中,トンネルの余掘りを少なくするための削孔・発破のパターンを工事会社と一緒に考えるなど,当時は色々な手間暇をかけて技術的な知見を体得してきたことが今でも印象に残っている。
 このように手間暇をかけて技術的な最適解を求める方法は,数値解析技術や ICT が高度化しクリック 1 つで解が手に入る今の時代にあっては考えられないかもしれないが,検討の過程で先輩や工事会社と議論し,試行錯誤しながら取り組んできたことが,「自然の道理」や「人と仕事を進める上でのポイント」,つまりは今ではブラックボックス化されがちな物事の道理,プロセス,肝などが自分の中で築き上げられ,その後携わった現場で様々な判断をする際の,私の基本的な考え方の礎になったものと感じている。

 次に,2001年からの 5 年間は宮崎県木城町(きじょうちょう)の小丸川揚水発電所の建設に携わった。当時先鋭化していた電力需要ピークに対応すべく計画された大規模プロジェクトで,上池と下池を結ぶ地下深部に水圧鉄管敷設のための斜坑を掘り,発電所用の大規模空洞を設けることが私の担当する工事であった。この建設工事では,日々進化する様々な新技術の有効性を目の当たりにすることになる。岩盤の挙動を観測しながら地下の大規模空洞を掘り下げていく情報化施工や 3D レーザースキャナーを用いた盛土管理など,一昔前では考えられない手間暇の少なさで同じアウトプットが手に入り始めた時代のように思う。1 つのプロジェクトを進める際の制約条件が,例えば安全,地域,環境,法令,技術,コスト,そして関係する人のマインドなど,多岐に亘りこれらの高次方程式を,スピード感を持って解かなければならない,またそれが技術的にも可能となり始めた時代なのかもしれないが,そんな中にあっても私は自分の考え方の基準を持ち,時にこれを修正しながら現場での様々な事象に対応してきた。

 そして,現在私は主に既設中小水力発電所の再開発,総合更新工事を推進する水力開発総合事務所の責任者を務めている。これまで様々な時代背景の中で,その時の要請に呼応する形で色々な水力の開発プロジェクトに携わってきたが,今は社会がカーボンニュートラルを志向するなど,まさに再生可能エネルギーの価値が高まりを見せている時代にあって,この事務所では現在,6 か所の水力発電所の工事を同時並行的に進めている。工事の対象となるのは,70〜100年前に建設された古い発電所たちであるが,当時の設備の設計思想の秀逸さを痛感する機会にたびたび遭遇する。例えば,古くからある水力発電所では,複数の支流に取水設備が造られ,少しでも多くの取水ができるような執念にも近い工夫が見られ,これは 1 億立方メートル近くの貯水池容量を擁する当社の上椎葉発電所でも見られるものである。そして,このように取水した水を常に有効に利用するために,導水路や沈砂池,水槽が 2 系統化されている発電所も数多い。電力が不足していた時代に少しでも多くの電気を生み出すために,先人たちが苦労を重ね,編み出した知恵の 1 つに他ならないのだが,再開発の際にこれらの設備に新たに機能を付加する,もしくは一部を除却する際には,一見意味のなさそうな設備が存在すること,一見過剰に見える規模や仕様をこれらの設備が有していることの意味をよく考える必要がある。そのためには設備が建設された時代背景を知ること,更には当時を知る人の話を聴くことが極めて有効であり,歴史を紐解いていくと,なぜこの場所に取水堰が造られたのか,複雑な取水系統を持っているのか,などが解明され,先人たちが考えた工夫の現代での有用性に気付かされることも多いものである。そして何よりこれらの設備を造った当時の技術者,関係者たちの並々ならぬ思いを知ることもできるのである。
 一方で,昨今の建設工事や工事管理における ICT 導入による生産性の向上には目を見張るものがある。私の事務所は熊本市内に位置するが,6 か所の発電所工事を進めているため,ウェアラブルカメラによる現場の確認や WEB 会議システムによる取引先との協議,タブレットによるペーパーレス化など様々な ICT 導入に取り組んでいる。これらは,現場に担当者が張り付いて施工管理を行っていた一昔前では想像がつかないことではあるが,新たな考え方や技法を「まずは試行」することが重要だと考える。「まずは試行」し,少しずつ良いものに「改善」していく,場合によっては取り止めることがあるかもしれないが,なぜ上手くいかなかったのか?の解が以降の改善へと繋がり,生産性の向上(=働き方の改革)に繋がっていくのだろうと思う。更に,生産性の向上には,業務とは全く関係のない「雑談」を起点に生まれる場合があることも申し添えておきたい。課題解決や技術検討の議論では思考の幅が限定されてしまい,時として議論が行き詰まってしまうことがある。このような時に意図的に雑談をする必要はないが,全く別の機会で日常生活の雑談をしたり,全く専門外の他者と話をしたりする中に,課題解決や改善のヒントがポッと浮かび上がってくるのである。これはある意味今の時代の手間暇なのかもしれない。
 このように,現在私の事務所で実施している古い発電所の更新(リニューアル)工事では,古い記録からの示唆も最新の ICT も,そして日頃の他愛ない雑談をも含む色々なツールを使いながら,皆で知恵を絞り,これから100年先も水力発電所が機能し続けるよう,創造的な再生を進めている。

 話を戻そう。肥後の石工である。熊本県山都町(やまとちょう)の「通潤橋」は火山灰質の台地上の田畑への水の供給を目的として,石工たちが地域の住民と一緒に約 2 年の歳月をかけ1854年に完成させた熊本を代表する石橋の 1 つである。2016年の熊本地震ならびに2018年の豪雨災害の際に通潤橋は,橋の構造自体に大きな被害が及ぶことはなかったものの,一部石材のズレ等の被害を受けた。その後,石材の再活用など様々な制約の下,被害の修復作業が進められ,今年の 4 月に建設当時の姿や機能を取り戻している。昔も今も,「人々の生活をもっと良くしたい」という技術者としての信念,使命感や技術力が極めて重要で,これらが肥後の石工達から現代の技術者にも脈々と受け継がれていることに気づかされた出来事であった。私自身がこれらを肝に銘じるのは勿論のことであるが,これからを担う土木技術者の皆さまも頭の片隅に置いて頂ければ幸いである。

     
     
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