会誌「電力土木」

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巻頭言

電力土木技術者としての矜持

 

水島 賢明

中国電力? 電源事業本部(再生可能エネルギー) 部長

〈はじめに〉
 突然ですがクイズです。
 皆さんが,近くの駅前にコーヒーショップの出店を検討しておられると想像してみてください。
 駅前には,大手チェーン店から地場の喫茶店まで,ライバルとなりそうなお店が既に何軒か出店しています。
 それぞれのお店の出入口で,中から出てくるお客さんに,この店を選んだ理由をこっそり教えてもらったところ,「ここのコーヒーは香りが素晴らしいから」「お店の雰囲気がくつろげるから」「マスターの人柄に惹かれるから」等,いろいろな理由が聞けました。
 ある経営コンサルタントから聞いた話では,ここで,この理由を口にするお客さんがいたら,その駅前での出店は止めたほうが良いという特別な理由があるそうです。さて,それはどんな理由でしょうか?

 正解は,「なんとなく」です。

 香りのよいコーヒーなら仕入先を探してドリップの腕を磨けばなんとかなりそうです。お店の雰囲気ならリノベーションにより,好きなようにアレンジできるでしょう。人柄は少し難しいですが,聞く力を磨いてトークを洗練すれば対応できるかもしれません。
 しかし,「なんとなく」だけは,どうにも対抗できません。
 例えが難しいですが,パソコン黎明期から一貫して Apple のパソコンを愛用しておられる方がおられます。そういう方に,Windows マシンの多様性やソフトの使いやすさ等,どんなに理路整然と利点を説いたとしても,翻意を促すのは難しいでしょう。実は,彼ら自身が,そこまで Apple を愛する理由を問われても,「なんとなく」としか答えられないのかもしれません。
 「香りのよいコーヒー」等,外見的に理解できる強みを木の幹や枝に例えるなら,「なんとなく」の強みは,木の「根」の部分。目に見えるところは真似できても,目に見えない地中深く何年もかけて根差した強みは容易に真似できないのです。

〈組織にとって真似できない強みとは〉
 これは,組織の強みについても同じことが言えます。
 世界最強企業の一つであるトヨタは,「ジャストインタイム方式」「カンバン方式」「なぜを 5 回繰り返す問題解決」等,「トヨタ生産方式」が強みの源泉であるといわれています。しかし,この「トヨタ生産方式」は,非常に著名であるが故に,書店に行けばこれを解説する本が数多く並んでいて,世界中のライバル企業が容易に研究できるはずです。しかし,トヨタは依然高い競争力を維持し続けています。
 なぜでしょうか?
 それは,トヨタの本当の強みは,外見的に理解できる「トヨタ生産方式」そのものにあるのではなく,それを社員一人ひとりが何十年もかけて受け継ぎ日常業務の中に溶け込んだ組織の「風土」にあるからです。

 つまり,組織にとって競争力の源泉は,外から見える幹や枝の部分ではなく,他社が簡単には真似できない「根」の部分,長年その組織において先輩から後輩に受け継いできた言わば DNA とでもいうべき価値観や物事の進め方,積み重ねてきたその組織固有のやり方そのものにあるのです。
 日々繰り返される行動が長年積み重なることで,大きなエネルギーとなります。一番大切なのは,さまざまな日常業務の背景にあるその組織固有のスピリット。他社が外見的に見ても,日々のルーティン業務としか映らないので,どうしたらそんなエネルギーが生まれるのか理解できない。すなわち,すぐには真似できないということなのです。

〈私たちの強み〉
 電力システム改革の第三弾たる発送電分離から早や 1 年。発電事業への新規参入も相次ぐ中,私たち電力土木技術者にとって,「根」にあたる固有の強みとはなんでしょうか。
 突き詰めていくと,電力安定供給のための「使命感」ということになるでしょうか。学生向けの新規採用説明会で,電力会社の社員に最も求められる資質として,人事の採用担当者が何度も口にするのがこの「使命感」です。
 多くの土木系新入社員が配属される水力保守の現場では,上司・先輩から「自分のダムは自分で守る」という「使命感」を叩き込まれます。言うまでもなく,水力発電は自然エネルギーであるが故に,時に人知を超えた自然の猛威にさらされる事があります。出水対応は常に公衆災害と背中合わせで,非常に高い専門性と沈着冷静な判断が求められる高度な業務です。

 当社は組織変遷の経緯により,水系毎には事務所を置かず,土木系社員は複数の水系を統合管理する水力センターに勤務しております。一方で,洪水吐ゲートの遠隔制御機能は一部の例外を除き導入しておらず,出水時には土木系社員がダムサイトまで移動し,現地でゲート操作を行う必要があります。
 従って,降雨が本格的になる前にあらかじめダムサイトへ移動しておく等,初動対応が非常に重要となります。このため,土木系社員は常に雨雲の動きに留意しており,急なゲリラ雷雨が発生した場合,一緒に買い物をしていた家族から離れ一人会社へ急行する等,常に備えを怠りません。
 しかし,時には想定を超えた激しい雨に見舞われることもあります。

 二十歳代の若手社員から聞いた話です。以前勤務していた事業所で,逆調整池側のダムを担当していていた時のこと。ある日の夕方,時間雨量80ミリの激しい夕立が発生しました。降ったのは,上流の貯水池より下流側のみ,非常に局地的な豪雨だったそうです。流域がダムサイトから近いため,出水の到達時間が早く,また比較的小規模なダムなので,常時満水位を確保するため一刻も早くダムに到達して洪水吐ゲートを開ける必要がありました。
 先輩と二人急ぎ車で出発したものの,フロントガラスを激しい雨が叩き付け視界が真っ白になる程で,細心の注意を払いながら必死で車を進めました。このような限界状態の中でも「もう無理かも」とはつゆ思わず,「最後は這いつくばってでもダムに辿り着いてゲートを開けるつもりだった」とのこと。やっとの思いでダムに到着。溜まった雨水の中を歩いてゲート巻上機室まで辿り着き,土嚢を積んでドアを開けて機側盤の電源を投入,なんとかゲート操作が間に合った,と熱く語ってくれました。
 正に,無我夢中で「電力土木技術者としての矜持」を貫いた経験だったのだと思います。
 水力の現場を守っているのは,こんな使命感を持った社員の方々なのだと,この若手社員にも,育ててくれた先輩社員にも,本当に頭が下がる思いで,胸が一杯になったのを覚えています。

 出水対応以外にも,自分の設備に愛着を持つこと,週末や深夜に急な事態が発生しても,皆が協力しあって対応できる準備を怠らないこと,地域の皆様との信頼関係構築には万全を尽くすこと等,長年当たり前のように真摯に取り組んできた日常業務の一つひとつが,実は,簡単には真似できない私たちの強みの源泉であると確信しています。

 電気事業を取り巻く経営環境がどのように変わろうと,私たち電力土木技術者に期待されている使命は,「根」のところでは変わりありません。先輩諸氏から連綿と受け継いできた「電力土木技術者としての矜持」を胸に,これからの大競争時代を皆で乗り切っていこうではありませんか。


     
     
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